本末転倒
私は基本、平和主義者で、
争うことを嫌い、避けている。
多分周りからも穏やかな人、そう思われていると思う。
もちろん怒りの感情はあるし、家族にぶつける時もあるけど、八つ当たり程度の可愛いものだと思う。
否、あー、年に2回くらい
♬たちまち、オツムが大噴火~
しちゃいます。てへっ。
また、アラフォーネタで、「怪物くん」OP曲です。
他人に対して怒りを露わにすることはほとんどないし、怒って何かが良い方向に動き出すことはないと思っていた。
だから怒っている人を目の当たりにするとイライラしてくる。
なんで、そんなに怒ってるの?
怒るなんてナンセンス‼︎
そして
「そんなに大きな声出さないでよっっ‼︎」
と大きな声を出す。
俯瞰してみましょう。
ズバリ、本末転倒でしょう。
ズバリ、逆ギレでしょう。
丸尾君に人差し指立てられてる。
どこが平和主義者やねん‼︎
誰がナンセンスやねん‼︎
手の甲で肩いっぱい叩かれてる。
多分、そういう時の自分って、恐怖とイライラですごくブサイクな顔してるんだろうなって思う。
いややわぁぁ。
一方で、本当の本気で怒っている人の顔ってカッコいいなって思う時もある。
怒られることへの恐怖から、怒るのって断然よくないって思ってきた。
割とのんびり育ってきたとはいえ、過去の色々なトラウマ故の恐怖。
怒っている人に怒っちゃうのは、その行為だけにフューチャーしてるからなんだと思う。
だけど、感情、喜怒哀楽の中の一つ。
「怒」だけ大袈裟な扱いがされているような気がするけど、表現の一つだと思ったら怒ることも、怒られることも大したことないんじゃないかな。
素直な「怒」をもっと気軽に表現してもいいのかなと最近思っている。
気持ちの軌道修正の一つとして。
しかし、自分の人生、本末転倒だらけだわ。
中学校で「本末転倒の意味を書きなさい」って必ず出る。
具体例、豊富にございます。
本末転倒
私は基本、平和主義者で、
争うことを嫌い、避けている。
多分周りからも穏やかな人、そう思われていると思う。
もちろん怒りの感情はあるし、家族にぶつける時もあるけど、八つ当たり程度の可愛いものだと思う。
否、あー、年に2回くらい
♬たちまち、オツムが大噴火~
しちゃいます。てへっ。
また、アラフォーネタで、「怪物くん」OP曲です。
他人に対して怒りを露わにすることはほとんどないし、怒って何かが良い方向に動き出すことはないと思っていた。
だから怒っている人を目の当たりにするとイライラしてくる。
なんで、そんなに怒ってるの?
怒るなんてナンセンス‼︎
そして
「そんなに大きな声出さないでよっっ‼︎」
と大きな声を出す。
俯瞰してみましょう。
ズバリ、本末転倒でしょう。
ズバリ、逆ギレでしょう。
丸尾君に人差し指立てられてる。
どこが平和主義者やねん‼︎
誰がナンセンスやねん‼︎
手の甲で肩いっぱい叩かれてる。
多分、そういう時の自分って、恐怖とイライラですごくブサイクな顔してるんだろうなって思う。
いややわぁぁ。
一方で、本当の本気で怒っている人の顔ってカッコいいなって思う時もある。
怒られることへの恐怖から、怒るのって断然よくないって思ってきた。
割とのんびり育ってきたとはいえ、過去の色々なトラウマ故の恐怖。
怒っている人に怒っちゃうのは、その行為だけにフューチャーしてるからなんだと思う。
だけど、感情、喜怒哀楽の中の一つ。
「怒」だけ大袈裟な扱いがされているような気がするけど、表現の一つだと思ったら怒ることも、怒られることも大したことないんじゃないかな。
素直な「怒」をもっと気軽に表現してもいいのかなと最近思っている。
気持ちの軌道修正の一つとして。
しかし、自分の人生、本末転倒だらけだわ。
中学校で「本末転倒の意味を書きなさい」って必ず出る。
具体例、豊富にございます。
長生きしたい
若かりし頃、あんまり長生きはしたくないと、のたまっておりました。
長生きするとカッコ悪いので、60位で「あの人は早かった」と惜しまれながら死んでゆきたい。
40を過ぎた今、カッコ悪くても、惜しまれなくていいから60で死にたくないない‼︎
だって、子ども達と一緒にお酒呑みたいし、孫に会いたいし、宇宙船乗りたいし、面白い時代の変わり目みたいし。
それに憧れ続けている隠居生活まだしてないし、言われ続けてきた大器な晩成もまだ来てないし、人生で3回あると言われているモテ期、まだ2回残してるし。
22世紀でドラえもんに会って、どこでもドアもらうんだい‼︎
えっへん‼︎
22世紀まで生きるとなると、泉重千代さん(120歳)クラスの長寿。
「理想の女性は?」と聞かれて「年上の女性」と答える重千代さんのようなユーモアを持ち続けていたい。
私のおばあちゃん、100歳で現役。
もう目が見えないと言いつつ「その色はあんたに似合わないよ」と指摘。
もう耳も聞こえないと言いつつ「携帯の着信音が耳障りだよ」と文句。
誕生日プレゼントに皺取りクリームが欲しいという貪欲。
「死んだ取手のおばあさんが、そこまで迎えに来てる」と言い続けて20年。
取手のおばあさんも20年のお迎えご苦労様です。
そんなおばあちゃんの孫だから、長生きしちゃうかも。
明日、世界の終わりが来たら病
2,3ヶ月に一回位の割合でやってくる私の病。
毎回、懲りずに同じパターンを繰り返しているので、この病を冷静に分析してみようと思う。
「明日、世界が終わるかもしれない」と、突然思い始める。
その時はいつも突然と思っているのだが、2,3ヶ月前も同様なので突然ではない。
そうだとしたら家族と美味しいお酒と食事を囲みながら何気ない会話を楽しんで過ごしたい‼︎と思いたつ。
そしたら、ちまちまとした日々のお金の遣り繰りが嫌になり、お金に価値はなくなる‼︎と思い込む。
そしてそして、家の一切合切を放棄して、いつもよりいいお酒やら、つまみやらを買いこむ。結構、強気で。
そしてそしてそして、家族と食事を囲み、「この家族で本当によかったね」と言わせるように仕向ける全く何気なくない会話に持っていく。
当然、翌日も世界は続いているので、山積みになった一切合切と、エンゲル係数の高さにクラクラし、いっそ明日世界が終わってもいいかもという刹那が一瞬よぎる。
書いてみると本末転倒もいいとこですな。
病でも何でもない。
現実逃避。
全く地に足が着いていませんよー。
自分を叱咤激励できるブログって便利だね。
明日、世界の終わりが来ても、ジタバタせず、いつも通り過ごすことに何の躊躇いもないような生き方をしたいものでありまする。
ファッションセンスの磨き方
風邪、だいぶよくなりました。
時々もののけ降臨の如し頭痛がやってくる以外は。
春分を過ぎて、洋服の整理をしていたところ、出てきた息子5歳のトレーナー2枚に想いを馳せる。
子どもの好みには口出ししないようにしている。
子どもの服は敢えて渋い色で、シンプルなデザインで、少し小さめサイズだと「子ども」が引き立つという勝手な持論があるのだけど、うちでは机上の空論でしかない。
娘8歳は物心ついた頃には私の選ぶ服は気に入らなくなり、今に至るまで自分wayを貫いている。
気に入った服や帽子やアクセサリーを全部身につけて、よく言えばグランジ、どうみてもダンボールにお住まいですか?みたいな時もあった。
かといえば一年中、ノースリーブのワンピースしか着ない時もあったり、黒づくめのフリフリ、ゴスロリ時代もあったり。
小学校に通うようになり、無難なおしゃれにまとめているようだけど、縞々と ×水玉といった楳図かずお×草間彌生のせめぎ合い的組合せもあり、たまに楽しめる。
息子5歳は、恐竜、動物、ドラゴンボール、おやつで構成されており、服は恐竜か動物が書いてあればご機嫌。
中でもとりわけ気に入っていた2枚のトレーナーが「kero kero club」と表記されたカエル達が楽しげな絵柄のものと「ANIMAL BUS bubbu!!!」と表記された動物達がスクールバスに乗っている絵柄のもの。
多分、表記だけでご想像いただけると思いますが、、、ダサい。
でもまぁ、本人気に入っているし、普段は何も言いますまい。
ただおしゃれスポットに出かける時は
「kero kero club」と「ANIMAL BUS」以外のものにして欲しい‼︎
せーめーてー「ANIMAL BUS」の方にしてもらえたら。
靴もニューバランスをさらっと玄関に出しておくが、スルーしてなんとかジャー(戦隊モノ)の靴を颯爽とはきこなす。
おしゃれしていこうか、と声をかけると星型のサングラスとマスクが加わり、ドヤ顔で待ってるので敢えて言わないでおく。
息子5歳は普段「オラ、虫の図鑑がみたいでのぅー」という口調で話す。
「kero kero club」でその口調だと、完全にど田舎のオラである。
ど田舎のオラであることは事実だし、彼はそんな枕詞はどうでもいいと思っている。
ど田舎のオラであっても、垂乳根のオラであってもオラはオラ。
完全に私の見栄で、ワクワク心を奪われるのは彼にとって甚だ迷惑だろう。
以降、おしゃれスポット対策は辞めた。
アドバイスはするけど口出しはしない。
ちょっと飛んじゃってる方が面白い。
しかし、冬あたりから息子のファッションが無難にまとまってきた。
嬉しいような、つまらないような。
しかも例の二枚のトレーナーに袖を通さなくなったので「これ、どうする?」と聞くと、鼻で笑い「オラ、そういうのはちょっと・・・ さんちゃんにでもあげて」
ダサいと認識しちゃったらしい。
どうやら姉にコーディネート講座を受けたらしい。
若いうちは講座は受けるもんじゃないね。
つい数日前、息子、全身黒。
ピタッとしたタートルネックに、更にピタッとしたスパッツ。
熊川哲也さん?
まだ楽しめそう。
ファッションは生き方。
イヴ・サン=ローラン
教室と水槽と私
時代を感じさせるタイトルが多くて
すみません。
「部屋とワイシャツと私」そんな歌謡曲が流行ったんです。
若者の皆さんはご存知ないかもしれません。
平成に入ってすぐの歌ですから。
その頃の話。
春分を前にして、懺悔します。
6年2組の皆には初めて告白します。
今から約30年前。
クラスで水槽を買って、メダカ(だったと思う)の生態を観察しよう、ということになった。
届いた水槽は想いの外、大きかった。
当時の私は特に目立つ生徒でもなく、むしろ目立たない方に属していたのだけど、仲の良いみっちゃんとだけは、アホなことをやっていた。
みっちゃんとは家が遠かったので、教室に最後まで残って遊びたいという理由で
掃除用具チェック係という誠にどうでもいい係を率先してやった。
2人だけになった教室で、皆の机の中を覗いて、やっぱりアイツの机の中は汚いだの、こっそりラムネを持ってきているから口止料として少しいただいておこうだの、気になる男子の机の上に小さくハートマークを彫るだの、犯罪紛いのことをして、多くの小さな秘密を共有して楽しんでいた。
私とみっちゃんは伊達に掃除用具チェック係ではなかった。
長ーい柄の箒をスタンドマイクのように
扱えたし、使われることがないであろう畳用箒が密かにあることを知っていた。
その知識と技量を生かして編み出された遊びが「BOOWYごっこ」。
お互いが何をしていても、どちらかが「オンリ、オンリ、オンリ、オンリー‼︎」と言ったらスタンドマイク(柄の長い箒)とギター(畳用箒)を急いでロッカーから持ち出し、机の上に飛び乗って「オンリーユー」を一曲歌うという実にくだらなくて、楽しい遊び。
その日の私達は盛り上がり、設定はライブ最終日の東京公演。
「サンキューートーキョーー‼︎」と叫びながらスタンドマイクと共に机から飛び降りたと同時に
バ キ ッ 。。。。。
スローモーション 。。。。。
大きかった水槽は掃除用具ロッカーの脇に仮置きされていたのだった。
登り竜の如しヒビが入った。
東京公演は即、終了。
私もみっちゃんも、顔面蒼白。
目撃者はいない。
とにかく帰ろう、とそれぞれ帰路に着いた。
息も絶え絶えで帰った。
母にだけは話して弁償して返そうかとも思った。
が、しょっちゅう母がヨソ様に「んもー、うちなんて火の車よぉぉ」と言っていたので、うちはかなりキツイんだと思い込んでいて、とても言い出せなかった。
その日、出されたおやつはよく覚えいる。
レディーボーデン ラムレーズン味。
全く楽しめない。
夜は、学校が全焼するようにという不謹慎な祈りを何度も捧げた。
翌朝、もちろん祈りは届かず。
休む勇気も、行く勇気もないまま
、また息も絶え絶えに登校した。
教室に入ると予想通りの展開。
みっちゃんとは「おはよう」以外に言葉は交わさなかった。
先生が駆けつけ、1時間目の国語か何かが急遽、学級の時間に変更。
先生が何か知っている人はいるかと聞いた。
しーん。
晴天の中、教室での長丁場が予想された。
吐きそうだった。多分体温35.1℃くらい。
自分が犯人だと告白することもさながら、そこから派生してアホなヤツであることと、放課後の数々の犯罪がバレてしまうことが恐ろしかった。
と、ある女子が
「よっちが放課後、教室でボールで遊んでるのをみました。」と。
「それなら僕もみました。」と続々と証言が挙がる。
よっち疑惑浮上。
よっちはちびまる子ちゃんでいうところの、はまじキャラでいつもふざけていたので、よっちなら納得って雰囲気があった。
よっちは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
先生がよっちに発言を求めた。
「確かに僕はボールで遊んでいました。でも割ってません。でもヒビが入ってるだけなので気がつかないうちに割っていたのかもしれません。わかりません。その時はごめんなさい。」
よっち‼︎
この時の私のやるせなさ度ったら、夜空の星を全て集めても足りません。
保身のためにダンマリを決め込んだ私と
自分のキャラをわかってて突破口を開いてくれたよっち。
ああ、こんなに違うのに、奇しくも誕生日が同じだなんて‼︎
先生がまずボールで遊んでいたよっちを注意。皆には憶測で疑うのはよくないみたいな流れでうまくまとめてくれて、水槽事件は終結した。
が、よっちなら仕方ないか、という雰囲気は残っていた。
それからも、よっちは変わらずよっちだった。
自分だったら、理不尽過ぎて、水槽どころか夜の校舎窓ガラス壊してまわることだろう。
あの時、正直に話してたら、よっちにだけでも謝っていたら、私の人生展開が違っていたのかなと、思う。
実は、只今、近年最高の風邪中。
寝込むほどひどい咳の時に、このことを思い出すことに気がついた。
ずっと言いたかったのかな。
だから書きたかったのです。
よっち、6年2組の皆、ごめんなさい。
今、うちの娘はメダカの餌やり係です。
因果応報。
もったいないおばけ
買ってきた野菜を腐らせる。
本当に勿体無いし、心苦しい。
ごめんなさい。
人参の葉っぱでかき揚げを作ったり、
古くなったタートルネックを湯たんぽカバーにしたり。
素材を余すことなく活かしきれた時、ものすごく充実する。
モノには魂が宿っている。
そう思ってるからこその、勿体無い精神であり、充実感なのだと思う。
一方、勿体無いという理由で、ジャガイモの皮付きのまま作ったビシソワーズは美味しくなかった。
もちろん、家族にも不評だったのだけど
勿体無いから半分は食べなさい、と強制的に食べさせた。
ごはんを残したら、もったいないおばけが出るよ、と脅されて育ったせいか、ごはんを残せない。
今、3人の小さい子ども達は、容赦なくごはんを残す。
美味しくなかったり、早く遊びたかったり、おやつを食べ過ぎてたり。
理由は様々だけど三割くらい残る。
こねこねぐちゃぐちゃな感じで。
子どもに「勿体無い」は全然関係ない。
勿体無い < 好奇心 だから。
大人の私は勿体無い、という理由で、そのこねこねを食べる。
これらのモノ達には魂が宿ってるとは思えない。
心にも身体にも何も響いていないし、むしろ我慢や忍耐が胃に蓄積されている。
「勿体無い」に縛られて、そういう波動を出しちゃうことの方が勿体無い。
「勿体無い」から産まれたものは刺し子や糠漬のように美しかったり、美味しかったり気持ちの良いものであるはず。
なのに正義仮面が登場しちゃって、我慢してたのでは本末転倒。
モノがありふれてる現状と反比例して
不足感が増長していく。
そう思ってからは、残ったごはんは土に
還すことにした。
なんとスッキリ‼︎
私の胃に入るよりも、この方が絶対に波動はいい。
せっかく天気が良いのに、外で遊ばないのはもったいない。
せっかく映画館に来てるのに寝てたらもったいない。
せっかくセミナーに参加したのに、何かを吸収して帰らないともったいない。
「せっかく」と「もったいない」の
セットは要注意です。
全部、全然もったいなくないですから。