もったいないおばけ
買ってきた野菜を腐らせる。
本当に勿体無いし、心苦しい。
ごめんなさい。
人参の葉っぱでかき揚げを作ったり、
古くなったタートルネックを湯たんぽカバーにしたり。
素材を余すことなく活かしきれた時、ものすごく充実する。
モノには魂が宿っている。
そう思ってるからこその、勿体無い精神であり、充実感なのだと思う。
一方、勿体無いという理由で、ジャガイモの皮付きのまま作ったビシソワーズは美味しくなかった。
もちろん、家族にも不評だったのだけど
勿体無いから半分は食べなさい、と強制的に食べさせた。
ごはんを残したら、もったいないおばけが出るよ、と脅されて育ったせいか、ごはんを残せない。
今、3人の小さい子ども達は、容赦なくごはんを残す。
美味しくなかったり、早く遊びたかったり、おやつを食べ過ぎてたり。
理由は様々だけど三割くらい残る。
こねこねぐちゃぐちゃな感じで。
子どもに「勿体無い」は全然関係ない。
勿体無い < 好奇心 だから。
大人の私は勿体無い、という理由で、そのこねこねを食べる。
これらのモノ達には魂が宿ってるとは思えない。
心にも身体にも何も響いていないし、むしろ我慢や忍耐が胃に蓄積されている。
「勿体無い」に縛られて、そういう波動を出しちゃうことの方が勿体無い。
「勿体無い」から産まれたものは刺し子や糠漬のように美しかったり、美味しかったり気持ちの良いものであるはず。
なのに正義仮面が登場しちゃって、我慢してたのでは本末転倒。
モノがありふれてる現状と反比例して
不足感が増長していく。
そう思ってからは、残ったごはんは土に
還すことにした。
なんとスッキリ‼︎
私の胃に入るよりも、この方が絶対に波動はいい。
せっかく天気が良いのに、外で遊ばないのはもったいない。
せっかく映画館に来てるのに寝てたらもったいない。
せっかくセミナーに参加したのに、何かを吸収して帰らないともったいない。
「せっかく」と「もったいない」の
セットは要注意です。
全部、全然もったいなくないですから。