十月の兎

徒然なるままの日記

もったいないおばけ

買ってきた野菜を腐らせる。

本当に勿体無いし、心苦しい。

ごめんなさい。

 

人参の葉っぱでかき揚げを作ったり、

古くなったタートルネックを湯たんぽカバーにしたり。

素材を余すことなく活かしきれた時、ものすごく充実する。

 

モノには魂が宿っている。

 

そう思ってるからこその、勿体無い精神であり、充実感なのだと思う。

 

 

一方、勿体無いという理由で、ジャガイモの皮付きのまま作ったビシソワーズは美味しくなかった。

もちろん、家族にも不評だったのだけど

勿体無いから半分は食べなさい、と強制的に食べさせた。

 

ごはんを残したら、もったいないおばけが出るよ、と脅されて育ったせいか、ごはんを残せない。

 

今、3人の小さい子ども達は、容赦なくごはんを残す。

美味しくなかったり、早く遊びたかったり、おやつを食べ過ぎてたり。

理由は様々だけど三割くらい残る。

こねこねぐちゃぐちゃな感じで。

子どもに「勿体無い」は全然関係ない。

勿体無い < 好奇心 だから。

大人の私は勿体無い、という理由で、そのこねこねを食べる。

 

これらのモノ達には魂が宿ってるとは思えない。

心にも身体にも何も響いていないし、むしろ我慢や忍耐が胃に蓄積されている。

 

「勿体無い」に縛られて、そういう波動を出しちゃうことの方が勿体無い。

 

「勿体無い」から産まれたものは刺し子や糠漬のように美しかったり、美味しかったり気持ちの良いものであるはず。

なのに正義仮面が登場しちゃって、我慢してたのでは本末転倒。

 

モノがありふれてる現状と反比例して

不足感が増長していく。

 

そう思ってからは、残ったごはんは土に

還すことにした。

なんとスッキリ‼︎

私の胃に入るよりも、この方が絶対に波動はいい。

 

せっかく天気が良いのに、外で遊ばないのはもったいない。

せっかく映画館に来てるのに寝てたらもったいない。

せっかくセミナーに参加したのに、何かを吸収して帰らないともったいない。

 

「せっかく」と「もったいない」の

セットは要注意です。

 

全部、全然もったいなくないですから。